2010年01月03日
勝者のフットワーク塾 中屋の響き 試合と練習
練習というものは、当然試合を目的にしています。テニスとはゲームであり勝敗を競うスポーツである以上、例えコート上でのラリーがいかにうまく出来るようになったとしてもテニスが上達したとは言い切れない部分が残ります。
かと言って、個人的には、勝てばいいみたいな立場には立ちたくないと思っています。将来の大きな勝利というか、高いステージを見据えた戦い方をベースにしたゲームへの取り組みを指示したいです。
そう考えてそれを前提に練習をすると、こんな打ち方をしたい、こんなテニスをしたいという考え方が重要になってきます。それを達成するために日々の練習をすることになるのです。ですから、勝ち方についてもある志向が形成されるはずです。
しかし、実際の試合でその志向に拘り過ぎるとなかなか勝てないというのが現実です。つまり、ポイントの取り合いというものは、不確実なせめぎ合いの連続でその形態は想像の域を遥かに超えているということです。
そこで、私が言いたいことは、練習と試合は全く別物だと考えるべきではないかということです。練習は、こうなりたいということを追及しればいいし、それに対して試合はその練習によって身に付いた事をひたすら引き出すことを心がけることが重要で、そのうえに立っていかにゲームを組み立てるかを考え、独自の戦略を駆使して全力で戦うことが大切です。
練習で自分の身体に沁み込んだものを試合の場で如何に自由に解き放つかが重要で、そのためにも戦略を着実に実行に移すことに神経を集中すべきです。それが自分を信じるということなのだと思います。勝負は最終的には泥だらけになり、そこで意識的に準備したものが無意識に作用する場面が展開するわけです。
試合という現実を睨みながら、自分がこうなりたいというビジョンは持ち続けて欲しいと思います。
今年もよろしくお願いします。
勝者のフットワーク塾 中屋
かと言って、個人的には、勝てばいいみたいな立場には立ちたくないと思っています。将来の大きな勝利というか、高いステージを見据えた戦い方をベースにしたゲームへの取り組みを指示したいです。
そう考えてそれを前提に練習をすると、こんな打ち方をしたい、こんなテニスをしたいという考え方が重要になってきます。それを達成するために日々の練習をすることになるのです。ですから、勝ち方についてもある志向が形成されるはずです。
しかし、実際の試合でその志向に拘り過ぎるとなかなか勝てないというのが現実です。つまり、ポイントの取り合いというものは、不確実なせめぎ合いの連続でその形態は想像の域を遥かに超えているということです。
そこで、私が言いたいことは、練習と試合は全く別物だと考えるべきではないかということです。練習は、こうなりたいということを追及しればいいし、それに対して試合はその練習によって身に付いた事をひたすら引き出すことを心がけることが重要で、そのうえに立っていかにゲームを組み立てるかを考え、独自の戦略を駆使して全力で戦うことが大切です。
練習で自分の身体に沁み込んだものを試合の場で如何に自由に解き放つかが重要で、そのためにも戦略を着実に実行に移すことに神経を集中すべきです。それが自分を信じるということなのだと思います。勝負は最終的には泥だらけになり、そこで意識的に準備したものが無意識に作用する場面が展開するわけです。
試合という現実を睨みながら、自分がこうなりたいというビジョンは持ち続けて欲しいと思います。
今年もよろしくお願いします。
勝者のフットワーク塾 中屋