2010年11月16日
眼張って 中屋の響き:風の音
昨今、心の病に悩む方、取り分け「うつ」に悩む方が増えているようです。なかには仕事が続けられなくなる程病んでしまう方もおられます。私の友人の中にも悩んでいる人はいます。
ここ数年、気になっているのですが、心理学の専門家の間で、「頑張る」という言葉を問題視する傾向があるようです。落ち込んでいる人に「頑張れ」と無理な励ましをすることは、余計に重荷を背負い込むことになるというわけです。
また「頑張る」という言葉自体、もともと「我を張る」という語源から派生しているとも言われ、単なる意地っ張りと同じイメージで扱われたりして、何とも形勢はよろしくない状態です。
確かに精神的に追い込まれた人にプレッシャーを掛けるような言い方は、答えのない世界に追い込んでしまう可能性があるかも知れません。また、こんなにやっているのにわかってくれないと自己否定された感じになることもあるのかも知れません。その事情は理解できます。
それでも、個人的には「頑張る」という言葉は好きです。たぶん英語とか他の国の言語に置き換えられるものはなく、正に日本語独特の言葉で、何か力を与えてくれそうないい言葉だと常々思っています。
ところが、気力を無くした人に「頑張れ」なんて気軽に言えない状況も一方にはあって、注意書きが必要な言葉という認識が広がっていることが残念でなりません。「頑張って」って言葉が必要な人にも簡単に言えなくなっていて、それは下手に励ますと追い込むことになるかも知れない、そんな心配からでしょう。
隣の人が生きているか死んでいるかわからないこの時代、とにかく事なかれ的な見て見ぬ振りという部類の行動パターンは増加傾向です。腫れ物に触るように見守る励まし方が主流になっている気がします。
それにしても何より心のつながりを作ることが大事なわけで、「頑張って」「頑張れよ」「頑張ったね」「頑張ろうよ」「頑張ってるよ」相手を理解してこんな励ましの言葉を一言掛けてあげて救われるたくさん人がいる気がします。
日本の年間の自殺者は3万人を超えるそうです。「頑張る」とは、「眼張る」から派生しているという説もあります。閉じそうになった目をもう一度、見開いて世の中をしっかり見れば、幸せに導く光の存在に気が付くこともあるでしょう。難しいことじゃなく意外と簡単に見つけられることがわかるはずです。そう自分自身の目で。
簡単に目を閉じてしまうのではなく、眼張って欲しい。泥だらけになっても、ボロボロになっても、カッコ悪くても、顔を上げて前を向いて欲しい。黙って応援してくれる人たちが見えるでしょう。
私はやはり、友人にも「頑張ってな」って声を掛けてあげました。
ここ数年、気になっているのですが、心理学の専門家の間で、「頑張る」という言葉を問題視する傾向があるようです。落ち込んでいる人に「頑張れ」と無理な励ましをすることは、余計に重荷を背負い込むことになるというわけです。
また「頑張る」という言葉自体、もともと「我を張る」という語源から派生しているとも言われ、単なる意地っ張りと同じイメージで扱われたりして、何とも形勢はよろしくない状態です。
確かに精神的に追い込まれた人にプレッシャーを掛けるような言い方は、答えのない世界に追い込んでしまう可能性があるかも知れません。また、こんなにやっているのにわかってくれないと自己否定された感じになることもあるのかも知れません。その事情は理解できます。
それでも、個人的には「頑張る」という言葉は好きです。たぶん英語とか他の国の言語に置き換えられるものはなく、正に日本語独特の言葉で、何か力を与えてくれそうないい言葉だと常々思っています。
ところが、気力を無くした人に「頑張れ」なんて気軽に言えない状況も一方にはあって、注意書きが必要な言葉という認識が広がっていることが残念でなりません。「頑張って」って言葉が必要な人にも簡単に言えなくなっていて、それは下手に励ますと追い込むことになるかも知れない、そんな心配からでしょう。
隣の人が生きているか死んでいるかわからないこの時代、とにかく事なかれ的な見て見ぬ振りという部類の行動パターンは増加傾向です。腫れ物に触るように見守る励まし方が主流になっている気がします。
それにしても何より心のつながりを作ることが大事なわけで、「頑張って」「頑張れよ」「頑張ったね」「頑張ろうよ」「頑張ってるよ」相手を理解してこんな励ましの言葉を一言掛けてあげて救われるたくさん人がいる気がします。
日本の年間の自殺者は3万人を超えるそうです。「頑張る」とは、「眼張る」から派生しているという説もあります。閉じそうになった目をもう一度、見開いて世の中をしっかり見れば、幸せに導く光の存在に気が付くこともあるでしょう。難しいことじゃなく意外と簡単に見つけられることがわかるはずです。そう自分自身の目で。
簡単に目を閉じてしまうのではなく、眼張って欲しい。泥だらけになっても、ボロボロになっても、カッコ悪くても、顔を上げて前を向いて欲しい。黙って応援してくれる人たちが見えるでしょう。
私はやはり、友人にも「頑張ってな」って声を掛けてあげました。