2008年03月28日
ゲーム中の怒りについて
うまくいかなっかた時、その怒りをふてくされたり、投げやりになったり、やる気のない態度に変えることがありますね。「こんなに困っているのだから誰か何とかしてくれ」という深層心理の現れだと思います。不満を態度に表すのは基
本的に甘えている証拠です。要するに周囲に対して不満を解消して欲しいという甘えがそこにはあるのではないでしょうか。
また、「あいつのせいで」とか、「あんなことされた」とか、恨み辛みなどの怒りでも攻撃のエネルギーにはなるわけですが、結局、恨みを晴らしてをいい思いをしたとしても、誰かを踏み台にしていることには変わりはありません。やは
り、そこにも他人を宛てにする甘えの構造はあるのです。
私自身、子供の頃、自転車を買ってくれる約束だったのに、急に買ってくれなくなった時のことを思い出します。その時は、やっぱり、怒りの余りふてくされ、食事も取らず誰とも口も聞かずに寝てしまった。自分としては精一杯の不
満の表現だったのでしょう。結局、買ってもらえることになったのですが、人はそんな感じで不満を態度で表すことの効用を覚えてしまうのだろうと、今思えばそんな気がします。
しかし、テニスのゲームでは、どんなに怒ってふてくされてもポイントはもらえない。オーストラリアで見たオーストラリア人のゲーム中の怒りの表現は桁外れに激しかったです。ところが、その多くは自分を鼓舞するというか、励ます怒りのように感じました。思うに怒りには、ポジティブな怒りとネガティブな怒りがあるのではないでしょうか。怒りの対象を奮い立たせるエネルギーになる、つまりプラスに作用するものと、それとは逆に怒りの対象を否定、批判もしくは排除し、マイナスの作用をもたらすものがあるようです。
ポジティブな怒りは何とかしようという意志が感じられるが、ネガティブな怒りは誰かに助けを求める甘えが感じられます。テニスのゲームで思うようにいかなくなったときに、怒っている自分がどちらなのかを冷静に判断してみるのも面白いかも知れませんね。
怒ることによって逃げ道を作るのではなく、新しい道を切り開く、そんなきっかけにしたいものです。
本的に甘えている証拠です。要するに周囲に対して不満を解消して欲しいという甘えがそこにはあるのではないでしょうか。
また、「あいつのせいで」とか、「あんなことされた」とか、恨み辛みなどの怒りでも攻撃のエネルギーにはなるわけですが、結局、恨みを晴らしてをいい思いをしたとしても、誰かを踏み台にしていることには変わりはありません。やは
り、そこにも他人を宛てにする甘えの構造はあるのです。
私自身、子供の頃、自転車を買ってくれる約束だったのに、急に買ってくれなくなった時のことを思い出します。その時は、やっぱり、怒りの余りふてくされ、食事も取らず誰とも口も聞かずに寝てしまった。自分としては精一杯の不
満の表現だったのでしょう。結局、買ってもらえることになったのですが、人はそんな感じで不満を態度で表すことの効用を覚えてしまうのだろうと、今思えばそんな気がします。
しかし、テニスのゲームでは、どんなに怒ってふてくされてもポイントはもらえない。オーストラリアで見たオーストラリア人のゲーム中の怒りの表現は桁外れに激しかったです。ところが、その多くは自分を鼓舞するというか、励ます怒りのように感じました。思うに怒りには、ポジティブな怒りとネガティブな怒りがあるのではないでしょうか。怒りの対象を奮い立たせるエネルギーになる、つまりプラスに作用するものと、それとは逆に怒りの対象を否定、批判もしくは排除し、マイナスの作用をもたらすものがあるようです。
ポジティブな怒りは何とかしようという意志が感じられるが、ネガティブな怒りは誰かに助けを求める甘えが感じられます。テニスのゲームで思うようにいかなくなったときに、怒っている自分がどちらなのかを冷静に判断してみるのも面白いかも知れませんね。
怒ることによって逃げ道を作るのではなく、新しい道を切り開く、そんなきっかけにしたいものです。
コメント
この記事へのコメントはありません。