2008年08月08日
特訓は意味がない
ある時期に集中して訓練することを特訓といいますが、私は短期間に急激に上達をすることは無理だと思っています。コーチとしては遠回りをしないように導くことは出来ますが、基本時に近道はないと思っています。
皆さんも学生時代に、試験の前夜にまさに一夜漬け勉強をした経験のある方は多いと思います。試験が終わるときれいさっぱり忘れてしまいましたよね。
テニスでも夢中になっているある時期、とにかくがむしゃらにたくさんテニスをやっている人がいます。上手くなりたい気持ちはわかりますが、どんなに焦っても前進のスピードは変わりません。時間が経てばわかることです。
インターネットの広告にも、10分で上手くなるとか、瞬間的に上手くなるとか、甘いキャッチコーピーが踊ってますが、全て後から考えれば普通の一歩に過ぎないのです。それでもどこかに抜け道があるはずだと思ってしまう気持ちはよくわかります。
例えば上達までに10段の階段を登らなければならないとします。2段飛ばし、3段飛ばしはありません。どんなに上手くなった気になっても10段のうちの平凡な1段に過ぎないわけで、要するに10段をどんな気持ちで登るかの問題なのです。
私は上手くなった気になってもらいながら、正しい方向に導きたいという意識でコーチをしています。でも、なかには別に正しくなくなっていいから、簡単うまくなる方法を教えて欲しいと言う人がいます。
原理原則からどれだけ外れようが、時間をかけずに勝てるようになればいいというわけです。それでも余分な過程を省いたとしてもはずせない部分はある
のでそこは譲れません。逆にそこのはずせない部分を知っているかいないかが、コーチとしての生命線であるとも思っているので。
得てしてそこのはずせない部分の習得が一番時間がかかるもので、そこを何とかストレスなく通過できるようにレッスンをしたいと思っています。でも、正直、時間はかかります。そこを特訓という方法では乗り切ることはできないのです。はっきり言って特訓は意味がありません。量は少しでも長く続けること、積み重ねることを強くお薦めします。
なぜなら、簡単に身につけたものは簡単にダメになりますから。
皆さんも学生時代に、試験の前夜にまさに一夜漬け勉強をした経験のある方は多いと思います。試験が終わるときれいさっぱり忘れてしまいましたよね。
テニスでも夢中になっているある時期、とにかくがむしゃらにたくさんテニスをやっている人がいます。上手くなりたい気持ちはわかりますが、どんなに焦っても前進のスピードは変わりません。時間が経てばわかることです。
インターネットの広告にも、10分で上手くなるとか、瞬間的に上手くなるとか、甘いキャッチコーピーが踊ってますが、全て後から考えれば普通の一歩に過ぎないのです。それでもどこかに抜け道があるはずだと思ってしまう気持ちはよくわかります。
例えば上達までに10段の階段を登らなければならないとします。2段飛ばし、3段飛ばしはありません。どんなに上手くなった気になっても10段のうちの平凡な1段に過ぎないわけで、要するに10段をどんな気持ちで登るかの問題なのです。
私は上手くなった気になってもらいながら、正しい方向に導きたいという意識でコーチをしています。でも、なかには別に正しくなくなっていいから、簡単うまくなる方法を教えて欲しいと言う人がいます。
原理原則からどれだけ外れようが、時間をかけずに勝てるようになればいいというわけです。それでも余分な過程を省いたとしてもはずせない部分はある
のでそこは譲れません。逆にそこのはずせない部分を知っているかいないかが、コーチとしての生命線であるとも思っているので。
得てしてそこのはずせない部分の習得が一番時間がかかるもので、そこを何とかストレスなく通過できるようにレッスンをしたいと思っています。でも、正直、時間はかかります。そこを特訓という方法では乗り切ることはできないのです。はっきり言って特訓は意味がありません。量は少しでも長く続けること、積み重ねることを強くお薦めします。
なぜなら、簡単に身につけたものは簡単にダメになりますから。