2009年08月14日
勝者のフットワーク塾 中屋の響き
海外のテニススクールのレッスンと日本のテニススクールのレッスンを比較すると、日本のテニススクールのレッスンの方が圧倒的に親切で分かりやすく、細かい配慮まで行き届いている感じがします。
コート内の8人から10人程度の生徒に懇切丁寧に教えているスクールが多いと思います。わからないところはわかるところまで噛み砕いて、出来ないことは出来るまで根気よく付き合って、不満や不安な気持ちを持たせないよう対応してくれます。
実はこの辺が私もジレンマなのですが、解り易いということが果たして本当の強さに繋がっていくのかということで。解り難いということを最高の悪徳のように考えてしまってよいのだろうか。
考えさせるというか、練らせるというか、心のなかである程度揉んで結論を出すための材料も上達の過程には必要なのだろうと思っています。あのコーチが言ったあの言葉はどういう意味だったのだろうと1ヶ月、あるいは1年くらい思案を巡らせることがあっていい気がします。
オーストラリアで私のボスが言った「手首に加速をつける」という言葉の本当の意味がわかるために要した時間は1年どころではありませんでした。オーストラリアでの3年間は、直接の答えではなくヒントをたくさんもらいました。
簡単に身に付いたものは、簡単に失ってしまうものです。私が教えているフットワークも答えではなく、1つの有効なヒントに過ぎないです。正しく有効なヒントには間違えないのですが、ここから目的地に達するまで各自の持続力が必要になります。もちろん誘導役はコーチがします。
歴史上の武道の達人の面々も、”技”そのものをズバリを言葉で言い表すには余りにも深すぎるので、せめて象徴した言葉を弟子に示すことはよくあったようです。表面的、短絡的な理解を危惧していたのかも知れません。
当然、全てその場で解らないことのストレスはあるでしょう。それでも、やはり、自分で考えないことには結局道は開けないのです。その過程で得た副産物がゲームでは大きな力となるはずです。
この文章にしても、いかに解り易く書くかで頭を捻っていますが、この辺もジレンマではあります。こんなにたくさん言葉を使わず集約できる言葉があるのかも知れません。
結局、コーチの仕事は、あくまでもヒントを示して導くということ、それ以上は本当に本人のためになっているかどうか、、、?。
カリフォルニアのシンプルなレッスンを見てて思いました。
勝者のフットワーク 中屋
コート内の8人から10人程度の生徒に懇切丁寧に教えているスクールが多いと思います。わからないところはわかるところまで噛み砕いて、出来ないことは出来るまで根気よく付き合って、不満や不安な気持ちを持たせないよう対応してくれます。
実はこの辺が私もジレンマなのですが、解り易いということが果たして本当の強さに繋がっていくのかということで。解り難いということを最高の悪徳のように考えてしまってよいのだろうか。
考えさせるというか、練らせるというか、心のなかである程度揉んで結論を出すための材料も上達の過程には必要なのだろうと思っています。あのコーチが言ったあの言葉はどういう意味だったのだろうと1ヶ月、あるいは1年くらい思案を巡らせることがあっていい気がします。
オーストラリアで私のボスが言った「手首に加速をつける」という言葉の本当の意味がわかるために要した時間は1年どころではありませんでした。オーストラリアでの3年間は、直接の答えではなくヒントをたくさんもらいました。
簡単に身に付いたものは、簡単に失ってしまうものです。私が教えているフットワークも答えではなく、1つの有効なヒントに過ぎないです。正しく有効なヒントには間違えないのですが、ここから目的地に達するまで各自の持続力が必要になります。もちろん誘導役はコーチがします。
歴史上の武道の達人の面々も、”技”そのものをズバリを言葉で言い表すには余りにも深すぎるので、せめて象徴した言葉を弟子に示すことはよくあったようです。表面的、短絡的な理解を危惧していたのかも知れません。
当然、全てその場で解らないことのストレスはあるでしょう。それでも、やはり、自分で考えないことには結局道は開けないのです。その過程で得た副産物がゲームでは大きな力となるはずです。
この文章にしても、いかに解り易く書くかで頭を捻っていますが、この辺もジレンマではあります。こんなにたくさん言葉を使わず集約できる言葉があるのかも知れません。
結局、コーチの仕事は、あくまでもヒントを示して導くということ、それ以上は本当に本人のためになっているかどうか、、、?。
カリフォルニアのシンプルなレッスンを見てて思いました。
勝者のフットワーク 中屋