2012年02月17日
小心大胆 中屋の響き:風の音
姫路キャンプの後、松田コーチの実家の徳島に寄ってきました。徳島は教員なって間もない頃、修学旅行の引率で訪れて以来です。
松田家には、本当におもてなしの「お」からしっかり教えて頂きました。心地よい2日間を過ごさせてもらい恐縮です。
。
四国八十八か所の最初と最後のお札所に行きました。両方徳島にあるのです。
その過程で、わがままを言わせてもらって池田高校に連れて行って頂きました。
池田高校とはこちら
校門を入るとこの石碑、深いです。胸にしまおう。
少し空気を感じて帰ろうと最初は思ったのですが、せっかくだからということで事務室に乗り込みました。いや「ぶらり旅」風にお邪魔しました。これぞ小心大胆。
聞いてみると蔦監督の資料室が用意されているとのこと、事務室の男性は親切で感じのいい人でしたね。
そこで車で待機していた同行の方々も呼んで資料室に案内して頂きました。感激です。
池田高校は最も忘れられない甲子園出場校です。私のなかではPL学園より、早実より上です。
まず、「さわやかイレブン」と言われた昭和49年、たった11人の部員で甲子園に出場し、何と決勝まで勝ち進んでしまった時の様子は衝撃でした。
更に昭和57年、「やまびこ打線」と言われた強力打線を擁して、まさにその打線が爆発した甲子園です。
後にヤクルトに入団した荒木大輔がいた早実に14対2、そして、
「コツコツ点を取って守り切る」という従来の甲子園戦法の代表のような広島商業に決勝で12対2、とにかく今までの高校野球の常識を圧倒していたのを覚えています。
資料室に当時のスクラップがありました。
その野球部を指導していたのが蔦文也監督でした。攻めダルマと言われたその徹底した指導方針が、この並外れた怪物のようなチームを作り上げたのでは。
信念の為せる業です。
攻めの野球を作り上げるのには、こつこつ積み上げが必要です。
ここです。小心大胆。
日々の思いつき、周りの雰囲気で作り上げた守りの野球とは違います。
準備のない攻めも守りも意味がないということ。
蔦監督はメモ魔でした。メモ魔の気持ちはわかります。
思い出せないからってまあいいやで済ませられない貴重な一瞬を感じる感性あるからでしょう。
「ワシはバントとかコツコツ当てていく野球は嫌いなんじゃ。」
ぶれない信念の人ですね。
徳島旅行、いろいろいいものを見せてもらいました。
松田家には、本当におもてなしの「お」からしっかり教えて頂きました。心地よい2日間を過ごさせてもらい恐縮です。
。
四国八十八か所の最初と最後のお札所に行きました。両方徳島にあるのです。
その過程で、わがままを言わせてもらって池田高校に連れて行って頂きました。
池田高校とはこちら
校門を入るとこの石碑、深いです。胸にしまおう。
少し空気を感じて帰ろうと最初は思ったのですが、せっかくだからということで事務室に乗り込みました。いや「ぶらり旅」風にお邪魔しました。これぞ小心大胆。
聞いてみると蔦監督の資料室が用意されているとのこと、事務室の男性は親切で感じのいい人でしたね。
そこで車で待機していた同行の方々も呼んで資料室に案内して頂きました。感激です。
池田高校は最も忘れられない甲子園出場校です。私のなかではPL学園より、早実より上です。
まず、「さわやかイレブン」と言われた昭和49年、たった11人の部員で甲子園に出場し、何と決勝まで勝ち進んでしまった時の様子は衝撃でした。
更に昭和57年、「やまびこ打線」と言われた強力打線を擁して、まさにその打線が爆発した甲子園です。
後にヤクルトに入団した荒木大輔がいた早実に14対2、そして、
「コツコツ点を取って守り切る」という従来の甲子園戦法の代表のような広島商業に決勝で12対2、とにかく今までの高校野球の常識を圧倒していたのを覚えています。
資料室に当時のスクラップがありました。
その野球部を指導していたのが蔦文也監督でした。攻めダルマと言われたその徹底した指導方針が、この並外れた怪物のようなチームを作り上げたのでは。
信念の為せる業です。
攻めの野球を作り上げるのには、こつこつ積み上げが必要です。
ここです。小心大胆。
日々の思いつき、周りの雰囲気で作り上げた守りの野球とは違います。
準備のない攻めも守りも意味がないということ。
蔦監督はメモ魔でした。メモ魔の気持ちはわかります。
思い出せないからってまあいいやで済ませられない貴重な一瞬を感じる感性あるからでしょう。
「ワシはバントとかコツコツ当てていく野球は嫌いなんじゃ。」
ぶれない信念の人ですね。
徳島旅行、いろいろいいものを見せてもらいました。