2010年07月07日
25年前の手紙 中屋の響き:風の音
街でかつての教え子に会いました。25年ぶりです。お互い外見は変わってしまいましたが、心は25年前と同じでした。
当時、若手の教師だった私は軟式テニス部の顧問を任されました。意気盛んな私はただただ突っ走るだけで、部員の気持ちなど考えずに接していました。
ある時、覇気のない部員に対し怒りが頂点に達し、全員を辞めさせることを決め、宣言しました。そして、その怒りを各部員に宛てて手紙でぶつけたのです。
文の最後にはやる気のある者だけ再入部するようにと加え全部員に渡しました。結果、残念ながら数名は去ってしまったもののほとんどの生徒が再入部届けを持って来てくれました。
今から思えば熱血青春ドラマそのものですね。あの時、手紙にどんなことを書いたのかは全く覚えていないのですが、何と街で会った教え子は大切に保管してくれていました。
何かあると読み返して、自分を元気づけているそうです。まさか、あの時の若造のたわごとがそんな長い間、人様の役に立っていたとは驚きです。
25年前の主張がどんなものだったのか、少し興味がありますが、恐らく今と同じことを考えていると思います。前を向いて、日々積み重ねれば幸せになれるってことかな。
言葉ってすごいですね。これからも皆さんに伝える言葉は心に伝わる言葉を選んでお伝えしていきます。そして、言葉に振り回されないよう、言葉をしっかり整備点検していきます。
勝者のフットワーク塾 中屋
当時、若手の教師だった私は軟式テニス部の顧問を任されました。意気盛んな私はただただ突っ走るだけで、部員の気持ちなど考えずに接していました。
ある時、覇気のない部員に対し怒りが頂点に達し、全員を辞めさせることを決め、宣言しました。そして、その怒りを各部員に宛てて手紙でぶつけたのです。
文の最後にはやる気のある者だけ再入部するようにと加え全部員に渡しました。結果、残念ながら数名は去ってしまったもののほとんどの生徒が再入部届けを持って来てくれました。
今から思えば熱血青春ドラマそのものですね。あの時、手紙にどんなことを書いたのかは全く覚えていないのですが、何と街で会った教え子は大切に保管してくれていました。
何かあると読み返して、自分を元気づけているそうです。まさか、あの時の若造のたわごとがそんな長い間、人様の役に立っていたとは驚きです。
25年前の主張がどんなものだったのか、少し興味がありますが、恐らく今と同じことを考えていると思います。前を向いて、日々積み重ねれば幸せになれるってことかな。
言葉ってすごいですね。これからも皆さんに伝える言葉は心に伝わる言葉を選んでお伝えしていきます。そして、言葉に振り回されないよう、言葉をしっかり整備点検していきます。
勝者のフットワーク塾 中屋
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