2011年02月27日
シェークスピアとシンプソンズ 中屋の響き:鐘の音
「ハーバード白熱教室」という番組が最近話題になっています。ハーバード大学のある授業の様子を放映した番組です。
ある回の放映はサンデル教授が功利主義の哲学者、ジョン・スチュワート・ミルを紹介し、道徳性の高さは効用の大きさで決まるという考えを紹介していました。
それで高級な喜びと低級な喜びを区別することを考えた場合、その区別する方法として、両方を経験した人が選ぶほうが、より好ましい喜びであるという1つの方向性を提示していました。
その実証のため、サンデル教授が学生たちに「シェークスピア」と、人気のアニメ「シンプソンズ」を比較させた討論が興味深いものでした。
高級な喜びに選ばれたのは、「シェークスピア」なのですが、より見たいと思うのは「シンプソンズ」でした。
高級な喜びと低級な喜びに分けて比較したところが面白かったわけですが、私は、この高級な喜びと低級な喜びを手軽な喜びと積み重ねを前提にした喜びというふうに考えました。
つまり、何の準備もなく喜べるものと何かしら身に付けたことがもとになって喜べるものがあると考えました。「何の準備もなく」と言ってもゼロということはあり得ないのですが、その度合いによって喜べるものと喜べないものがあるのは確かだと思います。
どちらが高級だとか好ましいということはどうでもいいのですが、この2つの喜びとバランスよく、どう向き合っていくかが、自分の人生をより豊かにしてくれるかを決めるのではという気がします。
そして、いろいろな喜びを知っている人が、幸せにより近づけるのでは。幸せになるためには、手軽な喜びだけではなく、手軽に喜べないことを積み重ねて、それをもとに喜べることもあります。その点を知ることは重要なことです。簡単に手に入れたものは簡単に無くなります。
また、一緒に喜びを共有できる人がいることも大事な点だとも思います。
200年経っても、人の幸せ感の原理は変わらないような気がします。
ある回の放映はサンデル教授が功利主義の哲学者、ジョン・スチュワート・ミルを紹介し、道徳性の高さは効用の大きさで決まるという考えを紹介していました。
それで高級な喜びと低級な喜びを区別することを考えた場合、その区別する方法として、両方を経験した人が選ぶほうが、より好ましい喜びであるという1つの方向性を提示していました。
その実証のため、サンデル教授が学生たちに「シェークスピア」と、人気のアニメ「シンプソンズ」を比較させた討論が興味深いものでした。
高級な喜びに選ばれたのは、「シェークスピア」なのですが、より見たいと思うのは「シンプソンズ」でした。
高級な喜びと低級な喜びに分けて比較したところが面白かったわけですが、私は、この高級な喜びと低級な喜びを手軽な喜びと積み重ねを前提にした喜びというふうに考えました。
つまり、何の準備もなく喜べるものと何かしら身に付けたことがもとになって喜べるものがあると考えました。「何の準備もなく」と言ってもゼロということはあり得ないのですが、その度合いによって喜べるものと喜べないものがあるのは確かだと思います。
どちらが高級だとか好ましいということはどうでもいいのですが、この2つの喜びとバランスよく、どう向き合っていくかが、自分の人生をより豊かにしてくれるかを決めるのではという気がします。
そして、いろいろな喜びを知っている人が、幸せにより近づけるのでは。幸せになるためには、手軽な喜びだけではなく、手軽に喜べないことを積み重ねて、それをもとに喜べることもあります。その点を知ることは重要なことです。簡単に手に入れたものは簡単に無くなります。
また、一緒に喜びを共有できる人がいることも大事な点だとも思います。
200年経っても、人の幸せ感の原理は変わらないような気がします。
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