2012年02月27日
たどり着きたくない人 中屋の響き:風の音
先日、ラジオを聞いていて面白いことを言ってました。小田和正さんの言葉です。「井上陽水って人は、どこにもたどり着きたくない人で僕とは違うみたい」
なるほど、世の中にはどこかにたどり着きたい人とたどり着きたくない人がいるんですね。
そう思って、自分の周りの人を見てみると結構、たどり着きたくないタイプの人っています。うちの奥様もそうかも知れません。
私は、たどり着きたいタイプかな。たどり着いたからってどうということもないのに、何か完結したい感がある気がします。
たどり着きたくないタイプの人々は、さまようことそのものが意味があって楽しいのかもしれないです。だから、たどり着いたら終わってしまうので、さまよいの喪失感を味わいたくないってことでしょうか。
私もテニスコーチとして、どこかにたどり着く日が来るのか。やればやるほどゴールは遠くに動いていくような。たどり着きたいのに。ジレンマですね。
結局どこかで見切りをつけて、いつか急に立ち止まるのかも。性分ってそれぞれですね。
なるほど、世の中にはどこかにたどり着きたい人とたどり着きたくない人がいるんですね。
そう思って、自分の周りの人を見てみると結構、たどり着きたくないタイプの人っています。うちの奥様もそうかも知れません。
私は、たどり着きたいタイプかな。たどり着いたからってどうということもないのに、何か完結したい感がある気がします。
たどり着きたくないタイプの人々は、さまようことそのものが意味があって楽しいのかもしれないです。だから、たどり着いたら終わってしまうので、さまよいの喪失感を味わいたくないってことでしょうか。
私もテニスコーチとして、どこかにたどり着く日が来るのか。やればやるほどゴールは遠くに動いていくような。たどり着きたいのに。ジレンマですね。
結局どこかで見切りをつけて、いつか急に立ち止まるのかも。性分ってそれぞれですね。
たどり着くことは永遠にないのかもですね
行き止まりでは、道にならないですし、
少し寂しい気がします。
道を歩くことそのものが道なのかもしれませんね