2011年08月01日
歴史の科学 中屋の響き:鐘の音
決定したことの真価というものは、ある一定の時間を経なければ判断できないのものです。
不思議なことです。どんなに優秀な人でも、後から「なぜ」と思える決定をしてしまいます。その時、その場にいて熟慮のうえでなぜ平気で誤った決定をしてしまうのか。
加藤陽子著「それでも日本人は戦争を選んだ」を読んで、改めてその現象の存在感を再確認しました。
第2次世界大戦へ向かう日本のトップの決定は、今から思えば明らかに偏った一方的なものとしか思えないものです。
また、泥沼化したベトナム戦争にのめり込んでしまったアメリカの決定もそうですが、当時best&brightestと言われる政府機関のなかでも最も頭脳明晰で優秀な補佐官たちが政策を立案してたはずです。なのになぜ?
当時の選ばれた優秀な指導者たちが、この様に賢明な判断を欠いてしまったおおもとは、どこにあるのか。加藤女史は、歴史の誤用だったと述べています。
人は、自分が思いついた事例に囚われてしまうものです。その結果、過去に起きた類推例を頭のなかで素直に分け隔てなく探せなくなってしまうというのです。
自分の思いつきに有利になる根拠に焦点を絞って、事例を分析しいること自体に気が付かないということが現実にあります。これが問題です。意識が自身の正当化に傾倒してしまうのでしょう。
加藤女史曰く
「重要な決定を下す際に、結果的に正しい決定を下せる可能性の高い人というのは、広い範囲の過去の出来事が、真実に近い解釈に関連付けられて、より多く頭に入っている人」
テニスの技術を考え、整理して伝える仕事をするうえで、自分勝手な思いつきに囚われることは避けなければいけないと常に思っています。
ですから、当然、現代だけではなく過去の歴史を知ることは必要です。しかし、自分の思いつきを正当化するための手続きにしてしまわないことを忘れてはいけません。つまり、ある考えに囚われて歴史を誤用しないようにすることです。
熊谷一弥選手を知らないコーチが時々いますが、熊谷一弥選手は90年前のオリンピック銀メダリストです。ナダルのスイングで有名なバギーウィップをガンガン使って、堂々と決勝まで勝ち上がりました。
この事実を知っていれば、バギーウィップが苦し紛れに使っている特殊な技術だとは言えなくなるでしょう。
恐らく、日本の古いスタイルのテニスがイースタングリップだという認識に囚われている人たちは、例え熊谷一弥の功績は知っていても新しい認識にたどり着かないでしょう。
「広い範囲の過去の出来事が、真実に近い解釈に関連付けられて、より多く頭に入っている人」でいたいものです。常に自分の考えのバランスを点検する試みは欠かせませんね。
不思議なことです。どんなに優秀な人でも、後から「なぜ」と思える決定をしてしまいます。その時、その場にいて熟慮のうえでなぜ平気で誤った決定をしてしまうのか。
加藤陽子著「それでも日本人は戦争を選んだ」を読んで、改めてその現象の存在感を再確認しました。
第2次世界大戦へ向かう日本のトップの決定は、今から思えば明らかに偏った一方的なものとしか思えないものです。
また、泥沼化したベトナム戦争にのめり込んでしまったアメリカの決定もそうですが、当時best&brightestと言われる政府機関のなかでも最も頭脳明晰で優秀な補佐官たちが政策を立案してたはずです。なのになぜ?
当時の選ばれた優秀な指導者たちが、この様に賢明な判断を欠いてしまったおおもとは、どこにあるのか。加藤女史は、歴史の誤用だったと述べています。
人は、自分が思いついた事例に囚われてしまうものです。その結果、過去に起きた類推例を頭のなかで素直に分け隔てなく探せなくなってしまうというのです。
自分の思いつきに有利になる根拠に焦点を絞って、事例を分析しいること自体に気が付かないということが現実にあります。これが問題です。意識が自身の正当化に傾倒してしまうのでしょう。
加藤女史曰く
「重要な決定を下す際に、結果的に正しい決定を下せる可能性の高い人というのは、広い範囲の過去の出来事が、真実に近い解釈に関連付けられて、より多く頭に入っている人」
テニスの技術を考え、整理して伝える仕事をするうえで、自分勝手な思いつきに囚われることは避けなければいけないと常に思っています。
ですから、当然、現代だけではなく過去の歴史を知ることは必要です。しかし、自分の思いつきを正当化するための手続きにしてしまわないことを忘れてはいけません。つまり、ある考えに囚われて歴史を誤用しないようにすることです。
熊谷一弥選手を知らないコーチが時々いますが、熊谷一弥選手は90年前のオリンピック銀メダリストです。ナダルのスイングで有名なバギーウィップをガンガン使って、堂々と決勝まで勝ち上がりました。
この事実を知っていれば、バギーウィップが苦し紛れに使っている特殊な技術だとは言えなくなるでしょう。
恐らく、日本の古いスタイルのテニスがイースタングリップだという認識に囚われている人たちは、例え熊谷一弥の功績は知っていても新しい認識にたどり着かないでしょう。
「広い範囲の過去の出来事が、真実に近い解釈に関連付けられて、より多く頭に入っている人」でいたいものです。常に自分の考えのバランスを点検する試みは欠かせませんね。
自分のなすべき目的を考えた行動をとるのではないかと思いますが、表出化している目的と内面化している目的との差が、
いろんな過ちを産んでいるひとつの原因だと思います。
物事を正当化したいために、
内面化している目的は誤魔化しながら、
歴史やレトリックを多用して、物事を進めていった先には、
表出化している目的とはかけ離れていることは、
この世の中にたくさんあることだと思いますね。
中屋コーチは、
恐らく自分の設定した目的と、
表出化している目的との間が、
乖離なく誠実に取り組んでいるから、
正しい判断、正しい方向に導きたいと
思われるのではないかと思います。
そういうVfootで、
テニスを学べることに幸せを感じますし、
他では体験できない奥深さがあると思います。
今後ともよろしくお願いします。
歴史上同じ事例はたくさんあるのですが、そこには目を向けない、というか無意識に避けて自分の思った計画に有利な事例を集めて、さも科学的に判断したと勘違いしてしまうパターンは結構あります。
単なる思い込みを大義や言葉のニュアンスで正しいことのように装ってしまわないよう正確に事実を見ていきたいと思ってます。