2011年06月08日
コーチが決める限界
テニスコーチがうれしい光景というのは、生徒同士のラリーが続いている時です。
一人でも強打して和を乱すような打ち方をすると自分の楽しみを奪われた不満が、ラリーを続けなければいけないというアドバイスになって現れます。
続けることも大切です。でもそれはやらなければならないことの一要素に過ぎないわけで、それを最大の目的にするのはいかがなものか思います。
コーチとして嫌な場面というのは、自分の指示したことを生徒が出来ない時です。一人や二人ならまだいいですが、生徒のほとんどが出来ないとなると厳しい状況になります。
それで生徒が首をひねり出す。コーチの言っていることが無理があるのか、生徒が不器用なのか。こういう場合、信頼関係がないと生徒は離れていきます。
この状況を出来るだけ作りたくないコーチはどうするか、特別なことはさせずに打ち方もあまり変えずに続けることに集中させます。そして、これを乱す生徒は自分の技術でねじ伏せ、おとなしく続けることを別の言葉でもっともらしく理屈でこじつけるわけです。
結局、ゲームで1ポイントにラリーが何往復かした様子を見て上達したと満足し、生徒も満足します。本当にこれでいいのか。
私が取り上げているフットワークメソッドは、もともと選手レベルのものでした。一般愛好には無理だと思われていました。
7年前、オーストラリアである駐在員の家族に少し工夫してトライしてもらいました。段階的に内容をまとめブレークダウンして、ほとんど初心者の方に対してのレッスンだったのですが。予想に反して、何と出来るではないですか。そこには出来なかったことが出来たという深い喜びがありました。
これがきっかけで、このフットワークメソッドをより真剣に考えるようにななりました。わかりやすく、面白く、深く教えること。教師として長年追及してきたことです。
先日、そのご家族からお手紙が届きました。小学生だったお子さんは、もう高校生だそうです。当時、そのご家族とチャレンジした経験はお互いに深く心に刻み込まれたようです。
昨今、テニス愛好家の技術的限界をコーチたちが決めつけてしまって、限られた世界に囲っている傾向は感じます。出来ないと決めつけて適当な段階でお茶を濁しているのでは。
今いる私の周りの生徒は、変化から進化をすることを経験しています。表面的にかたちの整った練習ではなく、技術の本質に触れる喜びを追及する練習をしたいと望んでいます。
そのためにオーストラリアで学んだフットワークメソッドをもとにオリジナルの段階的指導法、そしてテニス技術を馴染ませる工夫をカリキュラムに織り込むことを常に考えてます。
上級者から初心者まで通用するカリキュラムの確立と、それを全国的に普及させること、それが私の使命です。
一人でも強打して和を乱すような打ち方をすると自分の楽しみを奪われた不満が、ラリーを続けなければいけないというアドバイスになって現れます。
続けることも大切です。でもそれはやらなければならないことの一要素に過ぎないわけで、それを最大の目的にするのはいかがなものか思います。
コーチとして嫌な場面というのは、自分の指示したことを生徒が出来ない時です。一人や二人ならまだいいですが、生徒のほとんどが出来ないとなると厳しい状況になります。
それで生徒が首をひねり出す。コーチの言っていることが無理があるのか、生徒が不器用なのか。こういう場合、信頼関係がないと生徒は離れていきます。
この状況を出来るだけ作りたくないコーチはどうするか、特別なことはさせずに打ち方もあまり変えずに続けることに集中させます。そして、これを乱す生徒は自分の技術でねじ伏せ、おとなしく続けることを別の言葉でもっともらしく理屈でこじつけるわけです。
結局、ゲームで1ポイントにラリーが何往復かした様子を見て上達したと満足し、生徒も満足します。本当にこれでいいのか。
私が取り上げているフットワークメソッドは、もともと選手レベルのものでした。一般愛好には無理だと思われていました。
7年前、オーストラリアである駐在員の家族に少し工夫してトライしてもらいました。段階的に内容をまとめブレークダウンして、ほとんど初心者の方に対してのレッスンだったのですが。予想に反して、何と出来るではないですか。そこには出来なかったことが出来たという深い喜びがありました。
これがきっかけで、このフットワークメソッドをより真剣に考えるようにななりました。わかりやすく、面白く、深く教えること。教師として長年追及してきたことです。
先日、そのご家族からお手紙が届きました。小学生だったお子さんは、もう高校生だそうです。当時、そのご家族とチャレンジした経験はお互いに深く心に刻み込まれたようです。
昨今、テニス愛好家の技術的限界をコーチたちが決めつけてしまって、限られた世界に囲っている傾向は感じます。出来ないと決めつけて適当な段階でお茶を濁しているのでは。
今いる私の周りの生徒は、変化から進化をすることを経験しています。表面的にかたちの整った練習ではなく、技術の本質に触れる喜びを追及する練習をしたいと望んでいます。
そのためにオーストラリアで学んだフットワークメソッドをもとにオリジナルの段階的指導法、そしてテニス技術を馴染ませる工夫をカリキュラムに織り込むことを常に考えてます。
上級者から初心者まで通用するカリキュラムの確立と、それを全国的に普及させること、それが私の使命です。