2011年06月16日
コーチが決める限界2 中屋の響き:鐘の音
6月8日の「コーチが決める限界」ブログにコメントを頂きました。
http://blog.tennis365.net/atblog/articleInsert.blog
「プロが使っている打ち方は色々なフットワークに分類されること、そして一般愛好家にも習得可能であること、尚且つそれを使うとテニスの幅がぐっと広がり格段に面白みが増すことが判った時は、当に天地がひっくり返るほどの衝撃でした。
またVfootにしかない『初級~上級が混じったクラス編成』にも本当に貴重で感謝しています。
正直、以前はその環境の中で自分のレベルを情けなく思い、落ち込むばかりでした。
たまに少しマシになったかと思うこともありましたが、周りは更にレベルアップしているのを見ると、永遠に埋まらない格差にテニスを続けることを諦めかけたりもしました。
しかし最近ではそれがかえって私のテニス熱に拍車をかけて大きな励みになっていますし、相乗効果で自分も上達できる気がしています。
テニスって本当に奥が深くて何て面白いのでしょう!
普通のスクールだけに通っていたら、こんな大きな喜びを得る事はできませんでした。
宝物をくれたVfootにはいつも、いつも感謝の気持ちで一杯です!!」
「導入メソッドは本当にすばらしいと思います。応援しています!!」
「カリキュラムの確立と全国的な普及ですね
中屋コーチのやろうとしていることが、改めて整理されて理解できたような気がします。
まだそこにはない完成形の「Vfootカリキュラム」を目指して、vfoot自体も進化し続けているのですね
自分もそれにあわせて進化したいと思いますし、その過程を感じることの感謝と幸せを噛み締めながら、レッスン受けたいと思います。今後もよろしくお願いします。
いつの日か自分の習ってきたことも、自分のフレームでまとめてみたいと思います。」
「以前入っていたスクールで、一般人はこの程度のテニスでいいですよ、と決め付けてくるコーチが多く、心のどこかでツマラナイと思っていました。
Vfootレッスンを受けてみて、テニスの王道は、すぐに結果は出なくても、ずーっと先まで延々と道が続いていて、上達し続けられることを知りました。
せっかく大好きなテニスなので、すぐ行ける近くではなく、うーんと遠くまで行ってみたいと思います。」
私の今の活動はある意味、新しい一つのレッスンの形態を作るという挑戦なのかも知れません。
フットワークにどんな種類があるという紹介だけなら、あれが出来る、あれが出来ないという反応で終わってしまうでしょう。
コーチに必要な力は、
技術力・・やってみせる
分析力・・整理してみせる
指導力・・出来させる
このうちの技術力・分析力に加え、やはり指導力が本来一番大切なことのように思えます。出来させること。当然、情熱や愛情はもっと大切ですが、
技術力と分析力がないと指導はできません。出来させるということは、完成形を知っているというだけでなく未完成形の構造も知り、その2つの橋渡しとなる要素を示すことが必要です。
さて、ここで問題となることがあります。完成形とは、その状況にあったテニスらしい動きのかたちのことなのですが、そのテニスらしい動きでテニスをしなくてもゲームはできるので全ての人が必要だと思わないということです。
全てを羽根つきのようにしてボールを返してもテニスは楽しめるわけで、それでいいという方には余計なお節介ということもあります。
コーチが決める限界は生徒が決める限界が見えるから、存在するということも気もします。
私のレッスンは、結果的に進化改善した方々に有効有力なレッスンと言えるのかも知れませんが、基本的に根本を変えてしまうところがあるので、ある種ストレスを感じる方もいらっしゃると思います。
最終的には全ての方にストレスのないかたちのカリキュラムにしたいという思いがあるのですが、これも一つの挑戦です。出来るかどうかわかりません。やるだけです。
一つ言えることは、出来なかったことが出来る、それもさらさら出来ると思えなかったことが実を結んだ時の幸せ感は確実に人生を豊かしてくれる思います。
いずれにしても、どのコーチのどの形態のレッスンを選ぶかは、それぞれの人生で育んだ直観で判断するしかないことです。出来ないと思った時、難しいと思った時、やめる選択が悪いとは思いません。それが必要と思うかどうかですから。
コメントありがとうございます。また、一緒に頑張りましょう。
http://blog.tennis365.net/atblog/articleInsert.blog
「プロが使っている打ち方は色々なフットワークに分類されること、そして一般愛好家にも習得可能であること、尚且つそれを使うとテニスの幅がぐっと広がり格段に面白みが増すことが判った時は、当に天地がひっくり返るほどの衝撃でした。
またVfootにしかない『初級~上級が混じったクラス編成』にも本当に貴重で感謝しています。
正直、以前はその環境の中で自分のレベルを情けなく思い、落ち込むばかりでした。
たまに少しマシになったかと思うこともありましたが、周りは更にレベルアップしているのを見ると、永遠に埋まらない格差にテニスを続けることを諦めかけたりもしました。
しかし最近ではそれがかえって私のテニス熱に拍車をかけて大きな励みになっていますし、相乗効果で自分も上達できる気がしています。
テニスって本当に奥が深くて何て面白いのでしょう!
普通のスクールだけに通っていたら、こんな大きな喜びを得る事はできませんでした。
宝物をくれたVfootにはいつも、いつも感謝の気持ちで一杯です!!」
「導入メソッドは本当にすばらしいと思います。応援しています!!」
「カリキュラムの確立と全国的な普及ですね
中屋コーチのやろうとしていることが、改めて整理されて理解できたような気がします。
まだそこにはない完成形の「Vfootカリキュラム」を目指して、vfoot自体も進化し続けているのですね
自分もそれにあわせて進化したいと思いますし、その過程を感じることの感謝と幸せを噛み締めながら、レッスン受けたいと思います。今後もよろしくお願いします。
いつの日か自分の習ってきたことも、自分のフレームでまとめてみたいと思います。」
「以前入っていたスクールで、一般人はこの程度のテニスでいいですよ、と決め付けてくるコーチが多く、心のどこかでツマラナイと思っていました。
Vfootレッスンを受けてみて、テニスの王道は、すぐに結果は出なくても、ずーっと先まで延々と道が続いていて、上達し続けられることを知りました。
せっかく大好きなテニスなので、すぐ行ける近くではなく、うーんと遠くまで行ってみたいと思います。」
私の今の活動はある意味、新しい一つのレッスンの形態を作るという挑戦なのかも知れません。
フットワークにどんな種類があるという紹介だけなら、あれが出来る、あれが出来ないという反応で終わってしまうでしょう。
コーチに必要な力は、
技術力・・やってみせる
分析力・・整理してみせる
指導力・・出来させる
このうちの技術力・分析力に加え、やはり指導力が本来一番大切なことのように思えます。出来させること。当然、情熱や愛情はもっと大切ですが、
技術力と分析力がないと指導はできません。出来させるということは、完成形を知っているというだけでなく未完成形の構造も知り、その2つの橋渡しとなる要素を示すことが必要です。
さて、ここで問題となることがあります。完成形とは、その状況にあったテニスらしい動きのかたちのことなのですが、そのテニスらしい動きでテニスをしなくてもゲームはできるので全ての人が必要だと思わないということです。
全てを羽根つきのようにしてボールを返してもテニスは楽しめるわけで、それでいいという方には余計なお節介ということもあります。
コーチが決める限界は生徒が決める限界が見えるから、存在するということも気もします。
私のレッスンは、結果的に進化改善した方々に有効有力なレッスンと言えるのかも知れませんが、基本的に根本を変えてしまうところがあるので、ある種ストレスを感じる方もいらっしゃると思います。
最終的には全ての方にストレスのないかたちのカリキュラムにしたいという思いがあるのですが、これも一つの挑戦です。出来るかどうかわかりません。やるだけです。
一つ言えることは、出来なかったことが出来る、それもさらさら出来ると思えなかったことが実を結んだ時の幸せ感は確実に人生を豊かしてくれる思います。
いずれにしても、どのコーチのどの形態のレッスンを選ぶかは、それぞれの人生で育んだ直観で判断するしかないことです。出来ないと思った時、難しいと思った時、やめる選択が悪いとは思いません。それが必要と思うかどうかですから。
コメントありがとうございます。また、一緒に頑張りましょう。
このスクールは、つまみ食いに丁度いいスクールではなく、メインにするべきスクールだと私は判断します。
その通りだと思います。
しかしその喜びは「こうなりたい」という願望と「できない現実」の中で「考え」「試し」また「考え」を繰り返すという過程を経てこそ大きなものになると思います。
でも、そこにはある意味ストレスが伴う訳で「すべての方にストレスの無いカリキュラム」でこの幸せを実現するというのはとても難しいことですね。ぜひチャレンジしてください。
中屋さんの言う「コーチの3つの役割」の底流には「考えさせる」ということが流れていて、それがVfootが支持されているヒミツ(?)のひとつかな?と思います。
瞬間に直すことのできたフォームも、
また、すぐに戻ってしまう。
何か成果を急いで求めても、求めている成果が出ないことを
確信しているから
また、そういうものでは満足できないからこそ、
本物にたどり着いていくのだと思います。
テニスはテニスですから、どんなテニスでも否定する理由はないわけですが、
「もっと、本物はないのか!!」
と求めている人に、Vfootをチラ見せすると、
すぐに反応しますね
状況にあわせて変化するテニスの一般化という途方もない挑戦は、ある意味完成してしまっては、意味をなさないものなのかもしれませんね
挑戦し、作り続けること
その愚直な継続性への決断に改めて敬服します。
時間をかけても本物が欲しいと思うかどうかが、分岐点のように思います。
長くテニスを続けるつもりならば、答えは一つです!
将来の到着地点が大きく違ってくるはずと信じています。
固定化したパラダイムから抜け出せないのは経験値によるような気もしますが、私の力不足は常に感じています。
まだまだ何か出来ることがあるのでしょう。