2009年11月13日
勝者のフットワーク塾 中屋の響き テニス上達への道
「讒謗律」、この漢字「ザンボウリツ」と読みます。明治時代の言論統制のための法律です。別にここで日本史を論じようというわけではありません。
高校時代、この妙に複雑な漢字を覚えるために苦労しました。その時、「こんな漢字一生使わないよ」とその面倒くささを裏付ける不平を呟きながら、渋々試験のために頭に詰め込んだのを思い出します。その通りで未だに使ったことはありません。
他の教科でも、同じように「こんなの一生使わないよ」と不満たらたらで覚えさせられたことは山ほどあります。なぜ、一生使わないことを勉強されらたのでしょう。
未だに学生は同じ事をさせられています。同じように不満たらたら言って。なぜでしょうね。こんなこと知らなくても生きていけるといった類のものは省いて、あとの部分は好きな人がそれぞれ勝手に勉強すればいい、そう思っている人は多いでしょう。
同じ不満を持ちながらも、学生に先々での利用価値がほとんど想像できないことを勉強させている訳を考えてみました。テニス上達への道の歩みに参考にして下さい。
さて、ある事を習得するということには、2つの効果があります。意識的に作る効果と無意識的に作られる効果です。意識的に作る効果は、何のためにやるのか、その目的がストレートにはっきりしているので分かり易いです。
問題は無意識的に作られる効果です。まず、ある目的を目指していたのに、それとは別に思わぬ効果が得られるケースについてはそれ程躊躇なく取り組めると思います。取りあえず目的が分かるから。
ところが、何の目的のためにやっているかさっぱりわからない場合、そう思い始めたらストレスが溜まる一方ですよね。当然です。人間、理解できないことが目の前にあるとストレスを感じるように出来ているのですから。
でも、私が思うに無意識的に作られる効果の方が大きな流れを左右しているように思えるのです。多くは理由付けされてなるべくストレスなく取り組める状態にして、取り組んだ結果別の事へ効果も発揮されている、いわば副産物の価値ですが、成長するためにはこの部分の存在を認識することか鍵なのかも知れません。
この認識がないと辛いです。無意識的に作られる効果は、不確定で約束された部分が少ないからです。つまり、無駄足になる可能性大だからです。効果が想像できないところから始まります。無駄足覚悟の努力に意味があるなどとなかなか思えませんね。でも、自分にとってプラスになることはその時に効果が想像できることだけではないのです。
そんななかVfootworkは、目的がはっきりしていて既存のメソッドより意識的に作る効果の占める割合が大きいメソッドです。しかも、それが体系的に整理されているので、その場だけで終わらない安心感が得られるメソッドだと考えられます。
何よりVfootworkを続けることで、ストレスなく無意識的に作られる効果が期待できるというところも大きいところでしょう。
意識的に作る効果と無意識的に作られる効果、この2つの存在を知って下さい。意識的に作る技術と無意識的に作られる技術があります。
「讒謗律」という漢字を覚えるための努力で、無意識に作られた効果もある気がします。
勝者のフットワーク塾 中屋
高校時代、この妙に複雑な漢字を覚えるために苦労しました。その時、「こんな漢字一生使わないよ」とその面倒くささを裏付ける不平を呟きながら、渋々試験のために頭に詰め込んだのを思い出します。その通りで未だに使ったことはありません。
他の教科でも、同じように「こんなの一生使わないよ」と不満たらたらで覚えさせられたことは山ほどあります。なぜ、一生使わないことを勉強されらたのでしょう。
未だに学生は同じ事をさせられています。同じように不満たらたら言って。なぜでしょうね。こんなこと知らなくても生きていけるといった類のものは省いて、あとの部分は好きな人がそれぞれ勝手に勉強すればいい、そう思っている人は多いでしょう。
同じ不満を持ちながらも、学生に先々での利用価値がほとんど想像できないことを勉強させている訳を考えてみました。テニス上達への道の歩みに参考にして下さい。
さて、ある事を習得するということには、2つの効果があります。意識的に作る効果と無意識的に作られる効果です。意識的に作る効果は、何のためにやるのか、その目的がストレートにはっきりしているので分かり易いです。
問題は無意識的に作られる効果です。まず、ある目的を目指していたのに、それとは別に思わぬ効果が得られるケースについてはそれ程躊躇なく取り組めると思います。取りあえず目的が分かるから。
ところが、何の目的のためにやっているかさっぱりわからない場合、そう思い始めたらストレスが溜まる一方ですよね。当然です。人間、理解できないことが目の前にあるとストレスを感じるように出来ているのですから。
でも、私が思うに無意識的に作られる効果の方が大きな流れを左右しているように思えるのです。多くは理由付けされてなるべくストレスなく取り組める状態にして、取り組んだ結果別の事へ効果も発揮されている、いわば副産物の価値ですが、成長するためにはこの部分の存在を認識することか鍵なのかも知れません。
この認識がないと辛いです。無意識的に作られる効果は、不確定で約束された部分が少ないからです。つまり、無駄足になる可能性大だからです。効果が想像できないところから始まります。無駄足覚悟の努力に意味があるなどとなかなか思えませんね。でも、自分にとってプラスになることはその時に効果が想像できることだけではないのです。
そんななかVfootworkは、目的がはっきりしていて既存のメソッドより意識的に作る効果の占める割合が大きいメソッドです。しかも、それが体系的に整理されているので、その場だけで終わらない安心感が得られるメソッドだと考えられます。
何よりVfootworkを続けることで、ストレスなく無意識的に作られる効果が期待できるというところも大きいところでしょう。
意識的に作る効果と無意識的に作られる効果、この2つの存在を知って下さい。意識的に作る技術と無意識的に作られる技術があります。
「讒謗律」という漢字を覚えるための努力で、無意識に作られた効果もある気がします。
勝者のフットワーク塾 中屋
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