2010年04月10日
練習と試合の違い 中屋の響き:鐘の音
試合と練習は別物と考えるべきと思っています。練習は「自分の理想の打ち方・ゲームにいかに近づくか追求すること」が主です。試合は「自分の今ある力をいかに発揮するかを追求すること」が主です。
それぞれ主たる心の持ち方が違うのです。つまり、練習で自分の今ある力を発揮していればそれでいいかというと、それでは新たな進歩は得難いでしょう。
試合で理想の打ち方を追求してばかりなら、勝敗を競う楽しみとは別の方向に行ってしまうでしょう。基本、テニスはゲームですから。
練習には思い切った変化のチャンスがあります。つまり自分がこんな風に打ちたいと思っているその技術に近づけるための機会に多く巡り会えるということです。
残念ながら試合におけるポイントのプレッシャー下でのいろいろな試みは難しいでしょう。試合時間で実際に打っている時間は試合時間の15%程度だと言われています。これでは変化のためのチャンスとして少なすぎます。
はやり、試合では今持っている力を発揮する集中力や相手との駆け引きに重点を置くべきでしょう。今あるもの以上のものを発揮しようとすると空回りしてしまいます。
こんなボールを打ちたい、こんなプレーをしたい、それは練習で存分に経験しておくべきです。それによって身に付いたもので勝負をするのです。試みのない練習から得るものは少ないです。
ガルウェイの「インナーテニス」で言うセルフ2を邪魔しないメンタルコントロールは大変、重要な鍵です。しかし、それは試合の場面で使えばより効果があることではないかと思っています。
メンタルトレーニングも、練習で心がけることと試合で心がけることは違うはずです。練習も試合も何も考えずに自分が打ちたいように打てば自然にいいプレーが出来るという考えは少々乱暴な気がします。
勝者のフットワーク塾 中屋
それぞれ主たる心の持ち方が違うのです。つまり、練習で自分の今ある力を発揮していればそれでいいかというと、それでは新たな進歩は得難いでしょう。
試合で理想の打ち方を追求してばかりなら、勝敗を競う楽しみとは別の方向に行ってしまうでしょう。基本、テニスはゲームですから。
練習には思い切った変化のチャンスがあります。つまり自分がこんな風に打ちたいと思っているその技術に近づけるための機会に多く巡り会えるということです。
残念ながら試合におけるポイントのプレッシャー下でのいろいろな試みは難しいでしょう。試合時間で実際に打っている時間は試合時間の15%程度だと言われています。これでは変化のためのチャンスとして少なすぎます。
はやり、試合では今持っている力を発揮する集中力や相手との駆け引きに重点を置くべきでしょう。今あるもの以上のものを発揮しようとすると空回りしてしまいます。
こんなボールを打ちたい、こんなプレーをしたい、それは練習で存分に経験しておくべきです。それによって身に付いたもので勝負をするのです。試みのない練習から得るものは少ないです。
ガルウェイの「インナーテニス」で言うセルフ2を邪魔しないメンタルコントロールは大変、重要な鍵です。しかし、それは試合の場面で使えばより効果があることではないかと思っています。
メンタルトレーニングも、練習で心がけることと試合で心がけることは違うはずです。練習も試合も何も考えずに自分が打ちたいように打てば自然にいいプレーが出来るという考えは少々乱暴な気がします。
勝者のフットワーク塾 中屋
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