2011年03月15日
乗り越えられることを知っている人々
宮古という文字を見ると特別な感情が湧いてきます。またテレビのインタビューで土地の言葉を聞くと少年時代にお世話になった人々を思い出します。画面に映し出されるあの風光明媚なリアス式海岸の変わり果てた姿は痛ましい限りです。
実は亡き父親は宮古湾の北部にある田老鉱山の鉱山技師をしていました。そして当時その父親は身重の妻と乳飲み子を残して単身、東京の大学に行ってしまいました。まるで奥さんを残し勝手にオーストラリアへ行ってしまったどこかの誰かさんみたいですが。
正に当時は東京・岩手間は東京・シドニー間に近い感覚はあったと思います。実際、同じくらいの移動時間だったのではないでしょうか。そんな遠く離れた東京で生活の基盤を作った父は、残された家族を無事呼び寄せることになったわけです。
しかし、祖母は宮古に残ってそのまま小さな雑貨屋を営んでいました。祖母は全く商売っ気がなく、来店したお客さんにあれもこれもおまけであげてしまうので、今から思うとあれで何でやっていけたのか不思議なくらいでした。
たぶんその地域の相談役で常に人間関係の交通整理をしていたので、その信頼関係で客さんが絶えなかったでは、少なからず人柄が支えになっていた気がします。祖母が亡くなった後、店がないと不便だということで別の方が引き継いだのですが直ぐに閉めてしまいました。公正さのバランス感覚を維持するということはそう簡単ではなかったようです。
ですからその祖母がなくなるまで小学校時代の夏休みといえば休み中ずっと宮古に滞在したものです。いつも磯の香りが町に漂う素朴な町でした。
中屋という名前は東京ではほとんど聞きませんが、宮古の町では結構ポピュラーな名前です。駅前の大きなビルに「中屋」の文字、「中屋金物店」という金物屋さんで、うちの親戚です。
そんな懐かしい思い出のある町ですが、今度の災害で一瞬にして消えてしまいました。昨日、親戚と連絡が取れ無事の知らせが届きました。家ごと全て流されたけど命はあるとのこと。あと一人、宮古から仙台に引っ越した幼なじみと連絡が取れません。心配です。
この町は昔から多くの大災害を乗り越えて来た町です。いくつもの壊滅状態を生き残って来た人々がいます。
その人々は乗り越えられることを知っているのです。たくさんのものを失い続けてきた歴史は市民に本当に大切なものは何かを教えてくれました。財産は消えても絆は消えることはない。
裸一貫で始めるときに大切なのは立ち向かう気持ちだけです。皆さん、見ていて下さい。この町の立ち向かう姿を。乗り越えて来た歴史を持つ人々の底力を見て下さい。
いろいろな義援金の送り先はありますが、私はいつもユニセフを利用しています。常に今の自分の余力分を寄付すればいいと思っています。ご協力ください。
http://www2.unicef.or.jp/bof/bo.html
何回か寄付をすると毎年、きれいなオリジナルステッカーを送ってきてくれます。
実は亡き父親は宮古湾の北部にある田老鉱山の鉱山技師をしていました。そして当時その父親は身重の妻と乳飲み子を残して単身、東京の大学に行ってしまいました。まるで奥さんを残し勝手にオーストラリアへ行ってしまったどこかの誰かさんみたいですが。
正に当時は東京・岩手間は東京・シドニー間に近い感覚はあったと思います。実際、同じくらいの移動時間だったのではないでしょうか。そんな遠く離れた東京で生活の基盤を作った父は、残された家族を無事呼び寄せることになったわけです。
しかし、祖母は宮古に残ってそのまま小さな雑貨屋を営んでいました。祖母は全く商売っ気がなく、来店したお客さんにあれもこれもおまけであげてしまうので、今から思うとあれで何でやっていけたのか不思議なくらいでした。
たぶんその地域の相談役で常に人間関係の交通整理をしていたので、その信頼関係で客さんが絶えなかったでは、少なからず人柄が支えになっていた気がします。祖母が亡くなった後、店がないと不便だということで別の方が引き継いだのですが直ぐに閉めてしまいました。公正さのバランス感覚を維持するということはそう簡単ではなかったようです。
ですからその祖母がなくなるまで小学校時代の夏休みといえば休み中ずっと宮古に滞在したものです。いつも磯の香りが町に漂う素朴な町でした。
中屋という名前は東京ではほとんど聞きませんが、宮古の町では結構ポピュラーな名前です。駅前の大きなビルに「中屋」の文字、「中屋金物店」という金物屋さんで、うちの親戚です。
そんな懐かしい思い出のある町ですが、今度の災害で一瞬にして消えてしまいました。昨日、親戚と連絡が取れ無事の知らせが届きました。家ごと全て流されたけど命はあるとのこと。あと一人、宮古から仙台に引っ越した幼なじみと連絡が取れません。心配です。
この町は昔から多くの大災害を乗り越えて来た町です。いくつもの壊滅状態を生き残って来た人々がいます。
その人々は乗り越えられることを知っているのです。たくさんのものを失い続けてきた歴史は市民に本当に大切なものは何かを教えてくれました。財産は消えても絆は消えることはない。
裸一貫で始めるときに大切なのは立ち向かう気持ちだけです。皆さん、見ていて下さい。この町の立ち向かう姿を。乗り越えて来た歴史を持つ人々の底力を見て下さい。
いろいろな義援金の送り先はありますが、私はいつもユニセフを利用しています。常に今の自分の余力分を寄付すればいいと思っています。ご協力ください。
http://www2.unicef.or.jp/bof/bo.html
何回か寄付をすると毎年、きれいなオリジナルステッカーを送ってきてくれます。
私たちには誰にもかけがいの無い思い出が
あって、その時間があったからこそ今が
あるのだと思います。
その思いが沢山つまった宮古があんな惨状に
なってしまったことの悲しみは想像する
しかありません。
幼馴染の方のご無事を祈っています。
うーん