2007年06月22日
練習相手のレベルが合わない?
「へー、テニスするんですか?」なんて、共通の趣味を持つ人と出会うとちょっとときめきますね。「じゃ、今度一緒にやりますか」と意気投合。
いざ、一緒に練習をやってみると異常にレベルが高くて、どうにもならないという経験ないですか。自分の居場所がわからないというか、居心地の悪さを感じますよね。
逆に、何とも微笑ましい限りの超初心者グループという時もあります。どこまで力を入れていいのやらというパターンになってしまって当惑しますね。
自分に合った練習相手を見つけるって意外と大変です。どちらにしても気を使ってしまうというのが、楽しめない原因じゃないですか。
私自身も、正直言ってここまでの道のり、本当にあらゆるレベルの人たちと練習してきました。それこそ、プロから始めて1ヶ月なんて人まで。
ある時期まで練習相手に変にこだわっていましたが、ある時1つのことを決めたんです。
「主体的に練習しよう」と。もっと自分勝手にやっていいんじゃないかって思ったわけです。自分勝手と言っても。平気でミスしまくるとか、あまり打てない人に弾丸サーブを打ち込むとか、そんなことではないです。
自分の目的を作るということです。レベルの上の相手には自分の得意ショットを試すつもりでチャレンジするとか、同じくらいのレベルの相手なら競った時の試合運びを練習するとか、レベルの下の相手なら、不得意なショットやタッチショットの練習するとか。
実際、初心者の人とダブルスのゲームして困るのはミスではなくて、気を使って萎縮していることなんですね。
単純にテニスを楽しもうという意思さえ感じられれば、二人の力でどういうふうにゲームを取るか考えればいいわけですから。変に自分を卑下して気を使われるより、自分が思ったことをやって楽しんでくれた方がお互い気が楽ですよね。
始めてのデートで、相手がつまらないんじゃないかなとか思ってあれこれ気を使っていることが相手に伝わると、相手もまた気を使いますよね。そんなものです。
だいたい強い相手とだけ練習してれば強くなれるなんてうそです。ニックボロテリーも言ってます。テニスというスポーツ社会で生きていくことが大切だと。
フェデラーとだけ毎日打っていれば世界チャンピオンになれるかって、そうじゃないですよね。テニスを愛するなら、その社会を丸ごと愛さないと真の進歩はないと思います。
いろいろな練習相手との間に生まれた人間関係こそが、本当に自分のテニスを支えてくれるのでは、そう思います。
いざ、一緒に練習をやってみると異常にレベルが高くて、どうにもならないという経験ないですか。自分の居場所がわからないというか、居心地の悪さを感じますよね。
逆に、何とも微笑ましい限りの超初心者グループという時もあります。どこまで力を入れていいのやらというパターンになってしまって当惑しますね。
自分に合った練習相手を見つけるって意外と大変です。どちらにしても気を使ってしまうというのが、楽しめない原因じゃないですか。
私自身も、正直言ってここまでの道のり、本当にあらゆるレベルの人たちと練習してきました。それこそ、プロから始めて1ヶ月なんて人まで。
ある時期まで練習相手に変にこだわっていましたが、ある時1つのことを決めたんです。
「主体的に練習しよう」と。もっと自分勝手にやっていいんじゃないかって思ったわけです。自分勝手と言っても。平気でミスしまくるとか、あまり打てない人に弾丸サーブを打ち込むとか、そんなことではないです。
自分の目的を作るということです。レベルの上の相手には自分の得意ショットを試すつもりでチャレンジするとか、同じくらいのレベルの相手なら競った時の試合運びを練習するとか、レベルの下の相手なら、不得意なショットやタッチショットの練習するとか。
実際、初心者の人とダブルスのゲームして困るのはミスではなくて、気を使って萎縮していることなんですね。
単純にテニスを楽しもうという意思さえ感じられれば、二人の力でどういうふうにゲームを取るか考えればいいわけですから。変に自分を卑下して気を使われるより、自分が思ったことをやって楽しんでくれた方がお互い気が楽ですよね。
始めてのデートで、相手がつまらないんじゃないかなとか思ってあれこれ気を使っていることが相手に伝わると、相手もまた気を使いますよね。そんなものです。
だいたい強い相手とだけ練習してれば強くなれるなんてうそです。ニックボロテリーも言ってます。テニスというスポーツ社会で生きていくことが大切だと。
フェデラーとだけ毎日打っていれば世界チャンピオンになれるかって、そうじゃないですよね。テニスを愛するなら、その社会を丸ごと愛さないと真の進歩はないと思います。
いろいろな練習相手との間に生まれた人間関係こそが、本当に自分のテニスを支えてくれるのでは、そう思います。